185 x 45 センチ (全体) 120 x 35 センチ (本紙)
軸先:骨
※全体サイズは表具の端から端のサイズです。軸先部分は含みません。
※商品・軸先の状態につきまして下記【重要なおしらせ】項目をご一読お願いいたします。 紙本(印刷ではなく、描かれている作品です。) 極箱(矢野橋村)
【池大雅】1723-1776 江戸時代中期の画家,書家。享保8年5月4日生まれ。妻は池玉瀾。5歳のころから扇屋,篆刻を業とした。柳沢淇園の影響をうけ,文人画を独学。日本各地を旅し,詩情豊かな作品をうみだした。日本の文人画の祖。安永5年4月13日死去。54歳。京都出身。姓は池野。名は勤,無名。字は公敏,貸成。通称は秋平。別号に大雅堂,九霞山樵丶霞樵,載成、三岳道者。代表作に「山亭雅会図」「楼閣山水図」,与謝蕪村との合作「十便十宜帖」など。
【矢野橋村】1890-1965 大正-昭和時代の日本画家。愛媛県出身。本名は一智。別号に知道人。矢野鉄山の叔父。17歳で画家になることを目ざし、大阪に出て永松春洋にまなぶ。1919年(大正8)福岡青嵐、直木三十五らと共に大阪における文化の抜本的改革を目ざす研究団体・主潮社を結成。1921年(大正10)には日本南画院同人となり,大正13年私立大阪美術学校を創立。更には意気軒高として創作に励んでいた時期の1924年(大正13)、大阪美術学校を設立。昭和36年「錦楓」で芸術院賞。39年日本南画院会長。吉川英治,長谷川伸の小説の挿絵でも知られる。弟子に直原玉青・清水要樹・大野牧。彼が描いた日本の風土に基づく日本南画は革新的な「新南画」であり、近代大阪画壇において重要な足跡を残した画家といえる。
※付属品につきまして 商品は画像に写っている物が全てになります。 木箱、タトウ箱などの有無につきましても画像をご覧いただき御判断お願いいたします。
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