高さ 96.5 x 幅 307 センチ (開いた状態の全体サイズ) 高さ 96.5 x 幅 39.5 x 厚さ 11.5 センチ (閉じた状態の全体サイズ) 高さ 67 x 幅 28.5 センチ (本紙1枚当たりのサイズ)
※商品の状態につきまして下記【重要なおしらせ】項目をご一読お願いいたします。 紙本(印刷ではなく、描かれている作品です。) 極箱(頼潔) 箱書き(山田古香) 二重箱
黄袋有り
【貫名海屋】1778-1863 江戸時代の儒者,書画家。本姓は吉井,名は直知また苞。字は子善また君茂。林屋,海屋,海叟,海客,菘翁などと号した。阿波徳島藩士の家に生まれる。大坂に出て儒学を中井竹山に学び、のち京都で須静塾を開いた。書名は高く,晋・唐の法帖を臨模し,また平安期の名跡を学んで古雅秀麗な書風をつくり,幕末を代表する能書の一人となった。また少年時代から画を好み,はじめ狩野派を学んだが,のちに長崎に遊学し鉄翁について南画を修得。
【小田海僊】1785-1862 江戸後期の南画家。名は贏,字は巨海。南豊,百谷,海僊,茂林外史などと号した。通称は良平。長州(山口県)赤間関の染工の家に生まれる。22歳で上京。はじめ呉春につき写生的な画風を修得したが,のち頼山陽の助言で,中国元明の古蹟や,粉本を学び,南宗画法に転じた。その勉励の貌は小石元瑞から画痩といわれるほどであったという。頼山陽と共に九州に遊ぶこと5年,帰京ののち画名を高め,中林竹洞,浦上春琴らと並び称せられた。
【山本梅逸】1783-1856 江戸末期の文人画家。名古屋の彫刻師の家に生まれ、名は亮・ 親亮、字は明卿。画号は春園・竹厳・梅佚、のちに梅逸とした。別号に梅華道人・玉禅・天道外史・葵園・友竹艸居・白梅居など。幼少から絵を好み、はじめ山田宮常、山本蘭亭らに学び、当地の豪商で古画収集家であった神谷天遊のもとに寄寓し、中林竹洞らと古画を模写研究した。22歳で竹洞とともに京都へ出るが、やがて諸国を巡って名古屋に戻り、1854年(安政1)尾張藩の御用絵師格に任ぜられて士分に取り立てられた。山水・花鳥ともに優れた技巧を示し、特に華麗な彩色の花鳥画を得意とした。
【中林竹洞】1776-1853 江戸後期の南画家。名は成昌,字は伯明。竹洞,冲澹(沖澹),大原庵,東山隠士,筆樵,融斎,痴翁などと号した。名古屋の医師の家に生まれ,はじめ山田宮常に画を学ぶが,のち豪商神谷天遊の庇護を受け,同家所蔵の古画の模写によって画技を磨いた。同門に山本梅逸があり,27歳で共に上洛。以後京都の南画界に重きをなした。作風は定型化した幕末南画のスタイルをみせ「長楽春望図」「孔雀図」(ともに個人蔵)などがある。また理論家で『竹洞画論』『画道金剛杵』などの画論のほか,儒学,国学などの研究にもとづいた国体論的な思想によるものなど多くの著書をのこしている。
【頼潔】1860-1929 頼支峰の第一子、山陽の孫。名は龍三、字は庫三。号、華陽。
【山田古香】1852-1935 江戸後期の書家。嘉永5年(1852)3月讃岐に生まれる。名は得多、号を古香と称した。家学を受け藩校に学び、書を長三洲に学んだ。京都に居し、少壮にして官を辞して翰墨三昧の生活を送った。弟子に廣瀬桑田(1892~1966)がいる。
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