6月22日、部隊は京都を出発、大津・守山・愛知川・長浜・木之本をへて、27日に敦賀に到着、7月6日まで船待の間、気比の松原で調練を実施した。 6日になり調達した、富有丸・豊島形・住吉丸の3隻に分乗、一部は陸路にて越後へ向かった。 途中、強風に恵まれ、9日の朝には富有丸・豊島形は越後の今町湊(現在の直江津港)に到着したが、住吉丸が強風のため、佐渡島まで流され、18日にようやく越後柏崎に到着した。 仁和寺宮と旗本部隊は10日、高田城下に進軍し、高田の本陣にて宿泊した。 部隊は陸路を進軍し、15日夕、柏崎に到着した。 仁和寺宮がこの地を暫時の本営と定めたために、旗本隊も滞陣することとなる。 部隊は、まだまだ未熟だったので柏崎の浜辺で厳しく調練がおこなわれた。 この間、連日市中見回りが課された。 8月10日に、仁和寺宮から明日の新潟進軍が命じられた。 この時、初めて旗本隊に月給金一両が支払われた。 柏崎を出発、関ヶ原村・三条・新津町・新潟をへて、22日に新発田に到着。8月11日、仁和寺屯所に滞在していた甲賀・多田・高野三隊の隊士は、稽古場となっていた京都薩摩藩邸に召集され、北越出陣を命じられ甲賀隊は部隊編成を行った.
一番隊隊長 宮島小平太 隊士 亀井三郎
二番隊隊長 宮島章十郎 隊士 高橋陳平、芥川伝右衛門、木村右源太、上野嘉七
三番隊隊長 隠岐譲太郎 隊士 芥川源兵衛、青木重次郎、青山品藏、大野八郎右衛門
四番隊隊長 宮島蔀(しとみ) 隊士 芥川伝三郎、青木仙次郎、青木政右衛門、芥川左内
五番隊隊長 建部芳平 隊士 亀井又兵衛、大原予之助、上野啓次郎、河田兵馬
楽隊隊長 頓宮俊之助 隊士 田島とう太郎、三好守藏
御旗持 木村為右衛門
越後隊長 一柳定次郎 隊士 井田助右衛門、
玉薬奉行祐筆兼帯 中島融
宿割 沢田大三郎
惣勘定奉行 井上条之助
御本陣 仁和寺御内香山熊藏
8月14日に京都を出発した人数は、以上の甲賀隊33名と多田隊10名、高野隊15名、下部の者7名、合計65名であった。
画像参照にてお判りの方 宜しくお願い致します。