193 x 46 センチ (全体) 106 x 35 センチ (本紙)
軸先:骨
※全体サイズは表具の端から端のサイズです。軸先部分は含みません。
※商品・軸先の状態につきまして下記【重要なおしらせ】項目をご一読お願いいたします。 絹本(印刷ではなく、描かれている作品です。)
【水戸光圀】1628‐1701 江戸前期の常陸国水戸藩主。家康の孫、頼房の三男。字は子龍、号は梅里。民治に努め、儒学を重んじた。江戸の藩邸に彰考館を建てて『大日本史』編纂事業を始め、朱舜水を招くなど、水戸学の基をつくった。のち中納言となり、水戸黄門と呼ばれた。元禄13年(1700)歿、73才。
【松尾芭蕉】1644-1694 江戸中期の俳人。伊賀生。名は宗房、別号は桃青・泊船堂・芭蕉庵、風羅坊 等。北村季吟に貞門派を学び、江戸に下って談林派の感化を受ける。のち、数度の旅を通して俳諧に高い文芸性を加えた蕉風を確立する。元禄7年(1694)旅先の大坂にて歿、51才。
【大高源吾】1672-1703 江戸時代前期の武士。寛文12年生まれ。播磨(兵庫県)赤穂藩士。四十七士のひとり。中小姓,膳番元方,金奉行,腰物方を兼ねた。藩主浅野長矩の死後,江戸にでて,脇屋新兵衛と変名し吉良義央邸をさぐった。討ち入り後,元禄16年2月4日切腹。32歳。名は忠雄。俳号は子葉。著作に「丁丑紀行」,編著に「二つの竹」。
【近松門左衛門】1653-1725 江戸中期の歌舞伎狂言・浄瑠璃作者。出生地は不明。幼時より京都で育ち、一時近江の近松寺に遊び、近松の姓はこれに因んだものといわれている。名は信盛、通称を平馬、号は平安堂・巣林子・不移山人等。竹本義太夫と提携し多くの浄瑠璃を発表。また坂田藤十郎のために脚本を書く。代表作は『曾根崎心中』『女殺油地獄』等。享保9年(1725)歿、72才。
【菱川師宣】1618-1694 浮世絵師。安房国出身。土佐派・長谷川派・漢画などを独学、独自の画風を確立した。江戸で大衆文化が発達し、吉原などの風俗を描く絵本や版画が人気となった。その挿絵に画号を最初に銘記したのが師宣である。やがて挿画を一枚の摺り画として独立させ、後に浮世絵と呼ばれるジャンルを作り上げた。絵を主体にした版画が多数だが『見返り美人図』など、肉筆画も多く残す。名は吉兵衛。法号は友竹。
※付属品につきまして 商品は画像に写っている物が全てになります。 木箱、タトウ箱などの有無につきましても画像をご覧いただき御判断お願いいたします。
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