岐阜県に住んでいた浪曲師の酒井雲から、新潟県の浄土真宗本願寺派・円光寺の住職、徳山啓基に宛てられた手紙1点と封筒1点。
追伸には「お約束の粗茶少々お送りさせて頂きました 風味と色の変らぬやう念じつゝ」と書かれており、両者の交流が読み取れる。
酒井雲
さかい-くも
1898−1973
大正-昭和時代の浪曲師。
明治31年12月6日生まれ。初代桃中軒雲右衛門の弟子となり,桃風を名のる。雲右衛門の没後,酒井玉水,ついで雲と改名。文芸浪曲と銘うち,「恩讐(おんしゅう)の彼方に」などをのこした。戦後はラジオでも活躍し,昭和46年NHK放送文化賞。弟子にのちの村田英雄がいた。昭和48年11月10日死去。74歳。岐阜県出身。本名は武光。
(『日本人名大辞典』)