タチアーナ・ニコラーエワ
バッハ:平均律クラヴィーア曲集全曲
バッハ:
平均律クラヴィーア曲集全曲
タチアーナ・ニコラーエワ(P)
1971~1973年ステレオ録音
※VICTOR盤、OLYMPIA盤は1984&1985年の録音となります。
エンジニア:ヴァレンティン・スコブロ
ニコラーエワの名演にして代表作の一つ。
1971~1973年(ステレオ)の録音。
バッハのスペシャリストにして、ロシア・ピアニズムの真髄を実感させるニコラーエワの貴重な遺産です。
OLYMPIA音源(1984、1985年)との比較も楽しいところ。
タチアーナ・ニコラーエワ(1924-1993 ニコライエワ、ニコラーエヴァとも)は、バッハとショスタコーヴィチの権威として、ロシア・ピアノ界でも際立った存在でしたが、
彼女をその道のスペシャリストたらしめるきっかけとなったのが、1950年7月にライプツィヒで開かれた「バッハ没後200年記念祭」でした。
同音楽祭で開催された第1回バッハ国際コンクールの優勝者でもある彼女は、同行したソ連代表団の団長で、コンクールの審査員でもあったショスタコーヴィチの知己を得、
「3台のピアノのための協奏曲」を共に演奏するなど、バッハの作品を通じてショスタコーヴィチと懇意な間柄となります。
ニコラーエワのバッハ演奏は、現代のピアノを用いてバッハ作品を演奏することの意味をよく理解させてくれるもので、随所に込められた深い感情表現、
ドラマの構築は、グレン・グールドとはまったく異なる方向性を示しながらも徹底的に解釈し尽くされたという意味では共通するものを感じさせてくれます。
タチアーナ・ニコラーエワ Tatyana Nikolayeva [1924~1993 ロシア]
1924年5月4日、ロシア東部のブリャンスクに誕生。最初、母親からピアノの手ほどきを受け、13歳でモスクワ音楽院ピアノ科に入学し、アレクサンドル・ゴリデンヴェイゼルに師事、卒業後も同音楽院教授のエフゲニー・ゴルブレフから作曲を学びます。
1950年、ライプツィヒでおこなわれた第1回バッハ国際コンクールで優勝し、世界各国で本格的な演奏活動を開始。1955年にはソヴィエト連邦国家賞を受賞。
1959年からモスクワ音楽院で教鞭をとり、1965年には教授に就任し、後にはロシア共和国功労芸術家の称号を授与されます。
幾度かの来日でもお馴染みになった彼女の演奏スタイルは、ロマン的でありながらも端正でスケールの大きなものであり、世界各地で絶賛を浴びていましたが、1993年、サン・フランシスコでのリサイタル中に脳動脈瘤破裂により倒れ、収容された病院で亡くなります。享年69歳でした。