43 x 21 センチ (全体)
※全体サイズは表具の端から端のサイズです。軸先部分は含みません。
※商品の状態につきまして下記【重要なおしらせ】項目をご一読お願いいたします。 紙本・絹本(印刷ではなく、描かれている作品です。)
【中村岳陵】1890-1969 日本画家。静岡県下田生れ。本名恒吉。川辺御楯に土佐派を学び,1912年東京美術学校を卒業後,院展同人となり,のち日展に移った。大和絵の技法を根底におき,種々の新しい表現を取り入れた。
【酒井三良】1897-1969 大正-昭和時代の日本画家。明治30年2月16日生まれ。坂内青嵐に師事し,大正8年国画創作協会に初入選。小川芋銭の勧めで10年「災神を焼く残雪の夜」を院展に出品し,入選。13年日本美術院同人となる。昭和37年院展で「かまくら」により文部大臣賞。昭和44年6月8日死去。72歳。福島県出身。名は三郎。号は三良子、のちに三良、別号に梧水。
【北野恒富】1880-1947 明治-昭和時代の日本画家。明治13年5月28日生まれ。稲野年恒に師事。明治43年文展で「すだく虫」が初入選。大正3年からは院展に出品。6年日本美術院同人。また大正美術会,大阪美術会を結成。大阪を拠点に独特の美人画をえがいた。昭和22年5月20日死去。68歳。石川県出身。本名は富太郎。作品に「日照雨」「願ひの糸」「星」など。
【富田渓仙】1879-1936 日本画家。福岡生まれ。本名鎮五郎。号渓山人、別号に燕巣楼、久鼓庵、久鼓山人など。京都に出て都路華香に四条派を学ぶ。のち仙崖や富岡鉄斎に傾倒,また奈良・平安時代の仏画を研究し,文展,院展に出品。文人画風の自由な表現と平安朝の仏画や大和絵の優雅で濃密な美感を総合し,近代的感覚にあふれる画風を開いた。
【小川千甕】1882-1971 明治-昭和時代の日本画家。明治15年10月3日生まれ。仏画師北村敬重の弟子となり,浅井忠に洋画もまなぶ。大正4年川端竜子,小川芋銭らと珊瑚会を結成。油絵から日本画へ移行し院展に「田面の雪」「青田」などを出品。昭和7年日本南画院に参加。昭和46年2月8日死去。88歳。京都出身。本名は多三郎。代表作に「炬火乱舞」など。
【丸山晩霞】1867-1942 洋画家。長野県生。名は健作。児玉果亭に師事し、上京して神田勤画学舎に学ぶ。また本多錦吉郎に就き、欧米遊学後、太平洋画会創立に参加。木下藤次郎らと日本水彩画会を設立、水彩画家としても知られる。昭和17年(1942)歿、76才。
【大野麦風】 洋画家。東京生。名は要蔵。白馬会・太平洋画会に学ぶ。兵庫県に住した。昭和51年(1976)歿、87才。 代表作に『大日本魚類図集』があり、魚類を描いた版画作品が高く評価されている。
【堂本印象】1891-1975 大正-昭和時代の日本画家。明治24年12月25日京都生まれ。西山翠嶂にまなぶ。大正10年帝展で「調鞠図」が特選,15年「華厳」が帝国美術院賞。昭和11年母校京都市立絵画専門学校(現京都市立芸大)の教授。寺院の障壁画などを数おおく制作したが,戦後は抽象画も手がけた。芸術院会員。36年文化勲章。昭和50年9月5日死去。83歳。京都出身。本名は三之助。
【児玉希望】1898-1971 大正-昭和時代の日本画家。明治31年7月5日生まれ。広島県出身、本名・省三。大正7年川合玉堂の門にはいり、10年帝展に初入選、昭和3年特選。以後官展を中心に活躍した。25年伊東深水らと日月社を結成。28年「室内」で芸術院賞。34年芸術院会員。昭和46年5月2日死去。72歳。代表作に「仏蘭西(フランス)山水絵巻」「新水墨十二題」など。
【小杉放庵】1881-1964 画家。栃木県日光に生まれる。本名国太郎,はじめ未醒と号した。五百城文哉に洋画を学んだ後,上京して小山正太郎の不同舎に入った。日露戦争に画家として従軍,さし絵画家として著名になる。1908年から文展に出品。初期の代表作《水郷》などでは,装飾的な画風を示す。13年渡欧し,翌年帰国して日本美術院の再興に参加した。22年,春陽会を創立。しだいに画風,題材に東洋的な傾向を示し,29年放庵と改号した前後から日本画を主として制作した。
鈴木松年 石井鶴三 小山栄達 武者小路実篤 臼田亜浪 安孫子荻聲 中島菜刀 佐佐木信綱 山口誓子 水原秋桜子 荻原井泉水 直木三十五 太田水穂 大口鯛二
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