初版原版フィルムから制作された「本物」です(3枚目の画像をご参照ください)
ネット上に氾濫しております粗悪な自作品とは「細部のデザイン」や「材質」が全く異なります。
この意味と価値のわかる御仁のご参加をお待ち申し上げております。
前所有者様の入手から8年ちかくが経過した古いステッカー「関東連合ピースサイン(白×黒)」です。
昨年10月以来、6ヶ月ぶりの出品であり、当方が所有する最後の1枚で御座います。
前々回出品のメジャーな「黒地タイプ」とは異なり、非常にレアな「白地タイプ」です。
グラシン紙に包んだうえで箱に入れて大切に保管されていた品ですので状態は経年相応ですが、
古い品ゆえ、経年による若干の「ヨレ」「圧し痕」「スリット痕」「小キズ」などが御座います。
「ピースサイン」「Vサイン」と呼ばれる出品ステッカー(初代 関東連合)は、
昭和49年(1974年)の関東連合結成集会に合わせて制作された看板として有名ですが、
厳密にいえば「裏ピースサイン(反骨精神を表す)」が描かれているのだそうです。
幻の名著と云われる「爆走ステッカー大全集(4枚目の画像参照)」のトップページを飾った名作です。
ヤフオクやモバオク、メルカリなどで氾濫しております「部外者が自作したマガイモノ」ではありません。
また、1980年代~四国のマニアにより乱造乱発された「空想上のステッカー」でも御座いません。
薄いアルミ系材質の全面に白インクを印刷し、黒インクで文字を印刷し表面をPP加工で保護しています。
一般的で廉価な白塩ビなどを使用せず、あえて高級な材料と印刷手法を用いるこのこだわりこそが
「チームと看板(ステッカー)に誇りを持っていた」古きよき時代の自己主張だったといえるでしょう。
著作権法上とても重要な意味をもつ初版制作時の原版フィルム(3枚目の画像参照)は、
制作に携わられた先輩方よりわたくしが預かり40年に及ぶ長きにわたり大切に保管しております。
近年登録された「商標登録」などは、わたくしどもの有する「先行著作権」に対して
なんら効力は及びませんのでご安心のうえご参加くださいませ(商標法第29条参照)
今をさかのぼること50年あまり…昭和49年(1974年)2月4日23時。
すでに結成されていた「CRS連合」「東京連合」をも含めた巨大連合組織を目指した
「関東連合」の結成集会が東京の駒沢オリンピック記念公園で開かれました。
抗争事件が多発しはじめた都内はもとより、関東~東海~関西、そして北は東北にまで及ぶ
「数万人の動員数を誇るサーキット族平和共存全国組織」という遠大な構想のもと
結成集会の日時が正式決定したのが1月末、当日まで数日の期間しかなかったにもかかわらず
集結した車両は700台以上(週間プレイボーイ誌発表)、実際には1000台を超える車両と
2000人ものサーキット族が集結したと伝わっております。
その音頭をとったのは「マッドスペシャル」と「ブラックエンペラー」
駒沢公園にはマスコミ各社が大挙して押し寄せ、右翼団体の街宣車までもが多数応援に駆けつけましたが、
警戒にあたった交通機動隊、玉川署から動員された多数の警察官による交通規制は行われなかったそうです。
関東連合結成の趣旨「サーキット族の自主規制(当時は暴走族と呼ばれていませんでした)」には
大臣を歴任した大物政治家の協力もあり、当日は大物代議士秘書某氏の
「抗争事件をなくすために協力を惜しまない!!事務局を持ち、会則をつくり、
あくまでも抗争事件をなくそうじゃないか!!」との演説までありました。
参加チームの多さでは歴史上もっとも大きな連合組織であったといえます。
後に「狂走連盟」に参加する毘沙門天、ホワイトローズ、ゼロ、ルート20ゴースト、
「CRS連合」からもルート20、スペクター。単独チームといわれる一寸法師や寿限無、
そして極悪など、多くのチームが結成集会に顔をそろえました。
出品ステッカーは「関東連合」の数あるバージョンの中でもコレクターに根強い人気を博している名作です。