はがき
馬車はがき・2f・標語入り・拓け満洲 興亜の拠点 日専カタログ・日本関連地域編2012・品番PC37.B5.発行開始日1941(昭和16).5.2.
軍郵表示
なし
検閲印
ゴム印・特科隊、朱印・認印(難読)
消印
切手脱落のため不詳
発信人・宛先など
関東軍は満州国支配をより徹底させるために、満州農業移民100万戸・500万人計画をもって日本の農村各地からの農業移民を図ったのであるが、ひとり関東軍ということではなく、軍部中央や政府業務実行は当時の拓務省が主体となって国を挙げてこの実行を図った。長野県の大日向村は村の全戸数の半数が分村移民した。これが世にいわれる開拓団である。おりから戦争も拡大の一途を辿り、20代、30代の農村青年が次々と兵役に召集されて行く。拓務省が移民の必要性をいくら声を大にして叫んだところで、目的達成はおぼつかない。
ここに登場したのが満蒙開拓青少年義勇軍編成の建白書である。それにより、健康な日本の青少年たち満15歳から19歳までの者を募集、編成し、茨城県下中津村内原に内地訓練所を設置し、満蒙開拓の中堅人物を育成することになった。所長は加藤完治である。加藤完治は日本国民高等学校の校長であったが、熱烈な天皇制的農本主義者であって、近代的な教育者というより塾風教育者として、教え子を非常に愛したが、集団訓練を大事にし、小銃を持っての歩哨巡察など兵農移民として軍隊的訓練方式が多く取り入れられた。ここで一定期間の訓練を終わり、満州、主として北満各地の訓練所で農業訓練と軍事訓練を経ておよそ300名単位に1ヶ中隊として編成し、開拓地へ入植させた。農機具はもとより武器も与えられた。これが武装移民の青少年義勇開拓団であった。全部で251個団、内原訓練所から送り出された総員は86,530人に及んだ。
かくして南方戦線に兵力を抽出して弱体化した関東軍は、在満日本人の根こそぎ動員を敢えてし、昭和19年も終わりに近い頃、満蒙開拓青少年義勇開拓団からも召集した。残された老幼婦女子の一般開拓団はもちろんのこと、義勇開拓団も大半は後方に引き下がった関東軍より前方にあったから、怒涛の如く押し寄せるソ連軍に蹂躙され、現地人の暴行虐殺に晒され、言葉も尽くせぬ阿鼻叫喚があったのである。
下記WEBより
http://burari2161.fc2web.com/manmouseisyounengiyuugun.htm
北安省
(ほくあん-しょう)は満州国にかつて存在した省。現在の黒竜江省北西部に位置する。
1939年(康徳6年)6月1日、満州国は竜江省北部の殖産新興のために浜江省綏化県、望奎県、海倫県、綏県、慶城県、鉄驪県及び竜江省明水県、拝泉県、依安県、克山県、克東県、北安県、通北県、徳都県、嫩江県の地域に北安省を設置し、15県を管轄すると共に省会を北安街に設置した。
1943年(康徳10年)1月1日に嫩江県が黒河省に移管され、同年7月に慶城、鉄驪両県が合併し慶安県が成立し13県の管轄となった。
1945年8月、満州国の解体に伴い自然消滅したが、北安省地区は新たに設置された嫩江省に移管された。 北安省 - Wikiwand より
経年
81年 差出日付から(康徳9年=昭和17年)
状態
はがきは、経年黄ばみ、焼け、汚れ多、キズ、シミ、隅ヨレ、などのある古物難品です。裏面に消印汚れがあります。
美品希望の方、神経質な方には向いていません。
開始価格
現行はがき料額の6.35倍としました。 63×6.35=400円.....
最少額送料は63円(郵便書簡)です。
包装紙などにリサイクル用紙類を用いる場合があります。
他の商品との同梱を歓迎いたします。
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