203 x 55 センチ (全体) 108 x 40.5 センチ (本紙)
軸先:骨
※全体サイズは表具の端から端のサイズです。軸先部分は含みません。
※商品・軸先の状態につきまして下記【重要なおしらせ】項目をご一読お願いいたします。 絹本(印刷ではなく、描かれている作品です。) 極箱 (佐竹永陵・翠雲)
【谷文晁】1763-1840 江戸下谷根岸に生まれる。はじめ号は文朝・師陵、後に文晁とし字も兼ねた。通称文五郎。写山楼,画学斎などの号がある。父は田安家の家臣で,詩人としても名のあった谷麓谷。10歳のころから狩野派の加藤文麗に絵を学ぶが,19歳のころ,南蘋派の渡辺玄対に師事した。1788年田安徳川家に出仕して五人扶持となり,同年長崎に遊学して清人張秋谷に文人画を学んだ。92年には白河侯松平定信付となり,翌年3月から4月にかけ定信の江戸湾岸巡視に随従して《公余探勝図》を制作した。
【佐竹永陵】1872-1937 日本画家。東京生。旧姓は黒田、名は銀十郎、別号に写山画房・巍々堂。佐竹永湖に師事し南北合派を学びのち師家を継ぐ。日本画会の結成に参加し、また松林桂月らと日本南宗画会を結成した。文展開設では旧派の正派同志会の結成に幹事として参加した。また制作のかたわら谷文晁の画風の研究・鑑定も手がけた。日本美術協会委員。昭和12年(1937)歿、64才。
※付属品につきまして 商品は画像に写っている物が全てになります。 木箱、タトウ箱などの有無につきましても画像をご覧いただき御判断お願いいたします。
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