201 x 72 センチ (全体) 15 x 45 センチ (横幅最大:本紙) 35 x 5 センチ (横幅最小:本紙)
軸先:陶器
※全体サイズは表具の端から端のサイズです。軸先部分は含みません。
※商品・軸先の状態につきまして下記【重要なおしらせ】項目をご一読お願いいたします。 紙本・絹本(印刷ではなく、描かれている作品です。)
【伊藤東涯】1670-1736 江戸中期の儒学者。通称と本名は源(元)蔵長胤,東涯のほか慥慥斎と号す。父は伊藤仁斎。1705年(宝永2)仁斎の死後,古義堂第2代を継ぐ。05‐20年の間に仁斎の主著の最終稿本を編集・出版した。その際,思想内容の変更に及ぶ訂正を加えており,《論語古義》や《孟子古義》の刊本はむしろ東涯の著書に近い。儒学上の東涯の思想は,仁斎に残存した朱子学的要素を一掃し,仁斎の心情的道徳論を客観秩序重視の方向に転換して,徂徠学に接近する。
【松村呉春】1752-1811 画家。四条風の開祖。名は豊昌、号に呉春・月渓、字は伯望など。通称嘉右衛門・文蔵。壮年の頃呉服村酒造家に寓し、呉春と改め、大西酔月を師として、のち蕪村について画を修め俳諧をよくする。蕪村の歿後は応挙の画を好み弟子にと請うが応挙は固く辞し、親友として画学を研究し写生を勉強して終に一家をなす。文化8年(1811)歿、60余才。
【伊藤蘭嵎】1694-1778 江戸時代中期の儒者。元禄7年5月1日生まれ。伊藤仁斎の5男。長兄の東涯にまなび,享保16年紀伊和歌山藩の儒官となる。東涯の遺児東所を養育し,家塾古義堂をささえる。父とことなり五経を重視して新解釈をうちだした。安永7年3月27日死去。85歳。京都出身。名は長堅。字は才蔵。号は啓齋・應躔。著作に「書反正」「詩経古言」など。
【菅茶山】1748-1827 江戸後期の儒者。漢詩人。備後の人。名は晋帥。通称、太仲。京都で朱子学を学び、帰郷して黄葉夕陽村舎を開く。頼山陽の師。著「筆のすさび」「黄葉夕陽村舎詩」など。
【岸駒】1756-1838 江戸時代後期の画家。岸派の祖。加賀の人。本姓は佐伯のち岸,名は矩 のち駒。字は賁然。号は同功館・可観堂、鳩巣、など。南蘋派の花鳥画を学び、円山派などの諸派を折衷し、京都画壇の中心となった。虎の図で有名。有栖川宮家の障壁画を描く。このころ雅楽介を称する。
【亀田鵬斎】1752-1826 江戸中・後期の儒学者。折衷学派。名は長興,字は穉竜,通称文左衛門,号は鵬斎,善身堂。日本橋横山町の鼈甲商長門屋の番頭万右衛門の子として江戸の神田に生まれた。14歳で折衷学者井上金峨に入門し,安永の初めごろ私塾を開き徐々に名声を得たが,寛政異学の禁(1790)で「異学」の烙印を押され,「五鬼」のひとりに数えられて一時は門人が激滅し貧窮にあえいだ。しかしその後は書と詩文で再び名声を得たが,酒にひたる生活を送った。山本北山とは同年で親密であった。門人に東条一堂などがいる。
※付属品につきまして 商品は画像に写っている物が全てになります。 木箱、タトウ箱などの有無につきましても画像をご覧いただき御判断お願いいたします。
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