設定は原作の
戦後の
京都から、現代(公開当時)の
鎌倉変更している。
主演の
松尾嘉代と
岡田眞澄が、
ベッドシーンで
本番を演っていると製作時から映画関係者の間で囁かれ、元々日本ではそれを見ることは不可能ではあったが、
映倫が
ボカシを入れまくり、話題性もあったものの興行的にはイマイチの結果に終わった。
スタッフ
キャスト
製作
日本での興行
1983年秋に撮影は終えたが、公開日が決まらず。
東映セントラルフィルムの配給により、1983年末より、1984年の正月映画として
新宿東映ホール他1館で上映された。この時は本番をやったかどうかうやむやにされ、
性器や
結合シーン等は全て修正されていたため確認は出来なかった。また関係者も否定したため、本番をやったかどうか闇に葬られた。
グアム島での興行
若松孝二とスティック・インターナショナルとで、『
愛のコリーダ』や『
白日夢』に倣い、海外編集の手法を取り入れ、日本では
現像も不可能なため、
香港に
ネガを持って行き現像した。海外編集版では、日本版で映倫からカットされた
田口ゆかりら二組のカップルによる5分間の凄絶
乱交シーンも復活。勿論、最大の見どころは松尾嘉代と岡田眞澄のファックシーンだが、計3回あり、2人の性器丸出し他、
インサート場面の
クローズアップまである。海外編集版は、日本版より長い105分。英語版
パンフレットまで作成し、世界を相手の
ハードコアをアピールしたが、目当てはグアム島への日本人
観光客。宣伝用
チラシには「松尾嘉代の
ヘアや、松尾と岡田眞澄の
性交場面では両人の性器はもちろん、インサートの性交運動まで映し出されます...日本公開では決して観ることのできないハードな画面が次ぎ次ぎと登場します」などと書かれた。日本公開から1年4ヵ月経った1985年4月16日から、アメリカ合衆国・グアム島のデデドシアターで無修正版が公開され大ヒットした。デデドシアターは当時グアム島にあった二つの映画館のうちの一つで、昼は
欧米ポルノを上映、夜10時から連日『鍵』を上映したが、定員500人の客席は日本人
新婚カップルを中心に連日満席となった。
旅行社はナイトツアーに組み込んだりした。同劇場では
ゴールデンウイークや
夏休みの観光客を当て込み、1年上映を続けたといわれる。
グアム島での無修正上映が、日本でも大きく報道されたため、松尾嘉代と岡田眞澄に
マスメディアからの取材が殺到する事態となった。松尾は当時、
五月みどりと並ぶ
熟女とも、熟女ブームの急先鋒とも評されるお色気女優で、岡田相手に
がっぷり四つに組み、デメリットはあまりないはずだったが、松尾の
所属事務所は本人への取材拒否と合わせ、「
吹き替え」だと突っぱねた。岡田眞澄の方は当時、
OLや
女子大生からも人気の高いナイスミドルで、良きパパイメージで
CMも持っており、デメリットが大きいことから、岡田の所属事務所から若松孝二や
東映セントラルフィルムに猛抗議があった。若松プロデューサーや木俣監督も本番があったことを認めたが、松尾や岡田の事務所が
法的な手段に出なかったのは、実は二人には、通常相場の
ギャラよりも多い本番料200万円が上乗せされたギャラ、500万円が支払われたからといわれた。