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198 x 60.5 センチ (全体) 124.5 x 46 センチ (本紙)
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軸先:骨 紙本(印刷ではなく、描かれている作品です。)
【森寛斎】1814-1894 長門国萩雁島。長州(萩)藩士の子として生まれた。幕末明治期の日本画家(丸山派)。諱:公粛(公肅)。字:子容。幼名:幸吉、尚太郎。雅号:桃蹊、寛斎、晩山、造化室、天開図画楼。父は萩藩士石田伝内道政、三男。森徹山の養子。初め萩藩絵師太田田竜について学んだ。天保2(1831)年大坂に出て森徹山(円山応挙門)に学び、のち徹山の養子となり、徹山の子一鳳と森家を継いだ。25歳で京都に出て円山派の復興をはかった。安政2(1855)年御所造営に参加し揮毫した。幕末尊王派に与し萩藩士に復して国事に奔走、密使として京都、長州の間を往復した。勤皇の志士と交わり、品川弥二郎とは以後長く親交があったという。維新後画界に帰り、京都で如雲社(後の後素協会)に参加、塩川文麟没後、同社および京都画壇の中心的存在となった。各種博覧会で高賞を受賞し、明治13(1880)年京都府画学校出仕。
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