商品詳細
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【模写】◆橋本雅邦◆鑑定書付◆雁◆双幅◆題箱◆二重箱◆紙本◆掛軸◆t647
◆橋本雅邦(はしもとがほう)
Gaho Hashimoto
【美術年鑑評価額 3700万円】
日本画, 狩野派
1835 ( 天保6 )~ 1908 ( 明治41 )
本名:幼名)千太郎、長卿
号:秋園、勝園、雅邦、別号)十雁斎、克巳斎、酔月画生
【出身地・師系】
江戸出身 師、狩野雅信
【所属・任】
帝室技芸員、東京美術学校教授
【略歴・作風など】
天保6年7月27日生まれ。川越藩御用絵師を務める狩野派画家橋本静園養邦の子として江戸木挽町狩野勝川邸に生まれ、7歳の頃より父に画を学び、狩野勝川院雅信に師事。
その後、1871年には海軍兵学校製図掛を命ぜられ、以降、海軍の御用絵師として出仕。
82年には第一回内国絵画共進会展において「琴棋書画之図」で銀賞を受賞、85年、86年第1回、第2回鑑画会で「山駅秋色」、「弁天図」がそれぞれ3等褒状、2等褒状を受賞、また、此の際、フェノロサより認められて指導を受けて西洋画の技法を含んだ新画法を模索。
88年には東京美術学校開校に際して教諭として招致を受け、90年に教授に就任、この頃、後の大家と称される横山大観、下村観山、菱田春草らを育て上げている。
90年に第3回内国絵画共進会展で一等妙技賞を受賞、同年、新設された帝室技芸員を拝命。
95年の第4回内国絵画共進会展でも一等妙技賞を受賞、以降も絵画共進会展で審査員を務めるなど活躍を示すが98年の東京美術館騒動では学長であった岡倉天心や門下の大観、観山、春草らと共に辞職して同年の日本美術院創設に参画、以降、同院の指導者的立場をとったが、同院が経済的破綻を見せ始めると1903年に独自に二葉会を結成、07年の第一回文展が開催されると審査委員に就任したが、翌年一月十三日に日本画の夜明けを見ずに没。享年72歳。
当時、衰退を見せ始めていた狩野派の画法に洋画的な解釈を取り入れて再構築した功績は大きく評価される。
◆狩野 探道(かのうたんどう)
明治23年(1890) ~ 昭和23年(1948) 6月4日
大正・昭和期の日本画家
出生地:東京
本名:狩野 守久
東京美術学校日本画科卒(大正4年)
経歴狩野探幽の鍛冶橋狩野家12代目。
明治36年狩野応信に狩野派画法を学び、応信の死後、荒木探令に師事。
日本美術協会に出品し、審査院、展覧会幹事などを務めた。「徐上小景」などの作品がある。
◆服部北蓮(はっとり ほくれん)
明治32年(1899)~ 昭和61年(1986)
昭和時代の書家。埼玉県出身。
埼玉大,二松学舎大の教授を歴任。埼玉県書道人連盟会長,埼玉県美術家協会副会長などをつとめた。
埼玉師範卒。本名は誠一。著作に「日本書道文化史」など。
この作品は、紙本により『雁』が描かれております。
狩野探道先生の鑑定書が付いております。
箱は題箱で、昭和51年に服部北蓮先生が記されております。
本紙には、小ジミ・小ジワ・巻きジワ・折れがございます。
表装には、小ジミ・小ジワ・巻きジワがございますが、概ね状態は良好です。
模写としての出品ですが、印刷ではなく、書いてある作品ですので、ご入札の程よろしくお願い致します。
サイズ
約【縦201cm×幅55cm・(本紙)108cm×43cm】×2
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