124 x 34 センチ (全体) 16 x 7 センチ (本紙)
軸先:木
※全体サイズは表具の端から端のサイズです。軸先部分は含みません。
※商品・軸先の状態につきまして下記【重要なおしらせ】項目をご一読お願いいたします。 紙本(印刷ではなく、描かれている作品です。) 極箱(堀江知彦)
【烏丸光広】1579-1638 公卿,歌人。准大臣光宣の子。別名:烏有子、腐木。和歌を細川幽斎に師事し,歌論書として著名な《耳底記》は若年の光広の歌道精進の次第をもよく現している。1609年(慶長14)参議・左大弁のとき猪熊事件を起こし勅勘を被り,11年勅免・還任されるまで不遇をかこったが,12年に権中納言,16年(元和2)には権大納言に昇った。早くから幕府の恩顧を深く受け,ことに中年以降はことあるごとに江戸に下向し,晩年の37年(寛永14)には将軍徳川家光より江戸在府のための邸まで拝受した。寛永15年(1638年)7月13日に薨去。享年60。初め西賀茂霊源寺に葬られたが、寛文3年(1663年)7月洛西太秦の法雲院に移された。法名は法雲院泰翁宗山。伝記に孫・資慶による『烏丸光広卿行状』がある。
【堀江知彦】 書家・書道史家。東京生。号は秋菊。早稲田大学国文科卒。東京国立博物館に勤務した後、二松学舎大教授を務めた。古筆鑑定にすぐれ、また会津八一研究の第一人者としても知られる。著書に『書の歴史』『日本の書』がある。昭和63年(1988)歿、81才。 【藤原定家】1162-1241 鎌倉時代の公卿,歌人。応保2年生まれ。藤原俊成の子。母は美福門院加賀。正二位,権中納言。京極中納言とよばれる。「新古今和歌集」「新勅撰和歌集」の撰者となり、「小倉百人一首」も撰した。仁治2年8月20日死去。80歳。法名は明静。
※付属品につきまして 商品は画像に写っている物が全てになります。 木箱、タトウ箱などの有無につきましても画像をご覧いただき御判断お願いいたします。
|