作品詳細 |
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本紙サイズ…横 56.5 × 縦 35 cm
総丈サイズ…横 59.5 × 縦 130 cm 紙本着色・箱入 水田竹圃箱書 慶応3年(1867)蓮月77歳 状態…本紙微少オレ 「まつともし こえゆくかたや ものゝふの とりはく太刀の さやの中山」 【印刷ではありません】 【真作】 大田垣蓮月 幕末~明治の歌人。京都生。名は誠。伊賀上野城代家老職藤堂新七郎良聖の庶子といわれ、生後すぐに京都知恩院の寺士大田垣伴左衛門光古の養女となる。丹波亀山城主松平家に奉公。歌道を千種有功に学び、武芸にも長じた。夫との死別を経て剃髪し、蓮月尼と称した。養父を亡くして以降、京都岡崎・粟田・大原・北白川などを転々とし、急須・茶碗などを焼いて生計を立てた。その自作和歌を書きつけた陶器は「蓮月焼」と称される。富岡鉄斎は、蓮月尼老年の侍童であり、頼三樹三郎・梁川星巌・梅田雲浜や維新志士とも交流があった。明治8年(1875)歿、85歳。 富岡鉄斎 幕末~大正の文人画家。京都生。名は猷輔のち百錬、別号に鉄崖・鉄史等。幼少より国学・漢学・詩文等勉学に励み、維新後には奈良石上神宮等の宮司を務める。田能村直入らと日本南画協会を設立、日本各地を旅しながら、深い学識に基づいた自由な作画活動を行った。帝室技芸員・帝国美術院会員。大正13年(1924)歿、89歳。 水田竹圃 明治~昭和の日本画家。大阪市生。本名は忠治。別号に満碧堂、積翠堂、水竹居、蟻池庵。大阪で姫島竹外に南画を学んだ。大正元年から文展で入選をかさねる。その後京都へと移り河野秋邨・田近竹邨・山田介堂らと日本南画院を創立。また画塾菁我会を主宰し、南画の指導、興隆に尽力した。実弟に日本画家の水田硯山がいる。昭和33年(1958)歿、75歳。 |
【印刷ではありません】表記について |
墨または絵具で書かれた作品と保証するもので、万が一印刷、巧芸品の場合、返品に応じます。(落札後1ヶ月以内) | 【真作】表記について |
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配送・送料 |
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軸先について |
膠の劣化により、軸先の大半が外れやすい状態となっております。
そのため、発送の際は厳重に梱包致しますが、輸送中に軸先が外れることがございます。 誠に申し訳ありませんが、作品の特性上防ぎ切ることはできかねますので、ご容赦くださいますようお願い申し上げます。 |
かんたん決済 |
落札後、三日以内にご入金をお願い致します。
なお、ご入金後の取り置きはご入金頂いてから一週間以内とさせて頂きます。 ご連絡頂けなくても一週間後には発送致しますのでご了承下さい。 |
領収証 |
基本的に領収証の発行は行っておりません。公的機関等はご相談下さい。 | 評価 |
評価不要のお客様が多いため、評価を頂いた方にのみ、後ほど評価をさせて頂きます。 |
落札価格 | 200,000円 |
入札件数 | 139件(入札履歴) |
商品の状態 | 傷や汚れあり |
発送方法 | ゆうパック |
発送地域 | 京都府 |
終了日時 | 2024年4月20日 22時25分 |
出品者 | 古美術瀬戸 (評価) |
オークションID | j1132588072 |