205 x 51 センチ (全体) 105 x 36 センチ (本紙)
軸先:木
※全体サイズは表具の端から端のサイズです。軸先部分は含みません。
※商品・軸先の状態につきまして下記【重要なおしらせ】項目をご一読お願いいたします。 絹本(印刷ではなく、描かれている作品です。)
【谷文晁】1763-1840 江戸下谷根岸に生まれる。はじめ号は文朝・師陵、後に文晁とし字も兼ねた。通称文五郎。写山楼,画学斎などの号がある。父は田安家の家臣で,詩人としても名のあった谷麓谷。10歳のころから狩野派の加藤文麗に絵を学ぶが,19歳のころ,南蘋派の渡辺玄対に師事した。1788年田安徳川家に出仕して五人扶持となり,同年長崎に遊学して清人張秋谷に文人画を学んだ。92年には白河侯松平定信付となり,翌年3月から4月にかけ定信の江戸湾岸巡視に随従して《公余探勝図》を制作した。
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【東下り】 伊勢物語の一場面。在原業平が京都から東国へ行く。特に中世では,鎌倉へ行くこと。
【在原業平】825-880 平安時代前期の官吏,歌人。天長2年生まれ。阿保親王の王子。母は伊都内親王。六歌仙,三十六歌仙のひとり。天長3年兄行平らとともに在原の氏をあたえられる。蔵人,右馬頭,右近衛権中将などをへて,蔵人頭となる。美男で歌才にめぐまれ,「古今和歌集」をはじめ勅撰集におおくの歌が収録されている。「伊勢物語」は業平をモデルとした歌物語といわれる。元慶4年5月28日死去。56歳。通称は在五中将,在中将。
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※付属品につきまして 商品は画像に写っている物が全てになります。 木箱、タトウ箱などの有無につきましても画像をご覧いただき御判断お願いいたします。
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