21.5 x 494 センチ (全体)
軸先:骨
※全体サイズは表具の端から端のサイズです。軸先部分は含みません。
※商品・軸先の状態につきまして下記【重要なおしらせ】項目をご一読お願いいたします。 紙本・絹本(印刷ではなく、描かれている作品です。) ※巻頭・巻末の書のみ絹本です。
極書き(甲斐虎山) 極書(田近竹邨) 二重箱
★本紙全て写真掲載しております。 ※巻末の約85cmが白紙となっております。
【山本梅逸】1783-1856 江戸末期の文人画家。名古屋の彫刻師の家に生まれ、名は亮・ 親亮、字は明卿。画号は春園・竹厳・梅佚、のちに梅逸とした。別号に梅華道人・玉禅・天道外史・葵園・友竹艸居・白梅居など。幼少から絵を好み、はじめ山田宮常、山本蘭亭らに学び、当地の豪商で古画収集家であった神谷天遊のもとに寄寓し、中林竹洞らと古画を模写研究した。22歳で竹洞とともに京都へ出るが、やがて諸国を巡って名古屋に戻り、1854年(安政1)尾張藩の御用絵師格に任ぜられて士分に取り立てられた。山水・花鳥ともに優れた技巧を示し、特に華麗な彩色の花鳥画を得意とした。
【田能村竹田】1777-1835 江戸時代後期の画家。安永6年6月10日生まれ。豊後(大分県)岡藩医の次男。藩校由学館の頭取となる。藩内の農民一揆の際,藩政改革の建言がいれられず隠退。絵を谷文晁らにまなび,繊細な筆致の独自の画風を確立。幕末文人画壇の代表的な作家。頼山陽らと親交をもち,詩や書にもすぐれた。天保6年8月29日死去。59歳。名は孝憲。字は君彝。通称は行蔵。作品に「亦復一楽帖」,画論に「山中人饒舌」。江戸時代後期の画家。安永6年6月10日生まれ。豊後(大分県)岡藩医の次男。藩校由学館の頭取となる。藩内の農民一揆の際,藩政改革の建言がいれられず隠退。絵を谷文晁らにまなび,繊細な筆致の独自の画風を確立。幕末文人画壇の代表的な作家。頼山陽らと親交をもち,詩や書にもすぐれた。天保6年8月29日死去。59歳。名は孝憲。字は君彝。通称は行蔵。作品に「亦復一楽帖」,画論に「山中人饒舌」。
【甲斐虎山】1867-1961 日本画家。豊後国海部郡臼杵(大分県臼杵市)に生まれる。本名、簡。通称、駒蔵。字は厚甫。別号に玉壺道人、梅花道者、酔竹頭陀、苦瓜庵など。明治13年(1880)、帆足杏雨に学び、門下の名手として名を馳せる。後、京都に出て研鑽。明治33年(1900)、夫人、和里子とともに、京都に「文中園」(後に文中女学校に改称し京都高等女学校と合併、後の京都女子大学)を創立、教導にも当たった。昭和36年(1961)歿、94才。
【田近竹邨】1864-1922 田近陽一郎の子。郷里で淵野桂僊に,京都で田能村直入にまなぶ。明治29年日本南画協会に参加。41年第2回文展から大正3年第8回まで連続受賞。10年日本南画院を結成。豊後(大分県)出身。京都府画学校卒。本名は逸または岩彦。
※付属品につきまして 商品は画像に写っている物が全てになります。 木箱、タトウ箱などの有無につきましても画像をご覧いただき御判断お願いいたします。
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