その冒険は、オメガに在籍していたルネ・バンワルトによって始まりました。
自らの強靭な企業家精神、数々の一流時計メーカーで得た時計づくりの経験を活かして、彼は、叔父ガストン・リースとともに時計メーカーを設立し、1955年にコルムを起ち上げました。
ルネ・バンワルトは、討議や議決に必要な定足数を意味する、ラテン語“quorum”という言葉に惹きつけられ、綴りを“CORUM”に簡略化してブランド名にすることにしました。
1956年、コルムの腕時計が初めて市場に登場しました。
以降ブランドは文字通り次々と新しいアイデア発表し、大成功を収めました。
ライバルのブランドからも、コルムは業界で最も創造性に富んだブランドとして認識されました。文字盤に貴石やコインを使った個性的な時計作りで知られています。
1964年コインウォッチ発表
1987年、ジャン-ルネ・バンワルトがCEOに就任。
2000年、ジャン= ルネ・バンワルトCEO退任に伴い、 「アドミラルズカップ」シリーズが廃盤になりました。
同年1月、GUCCIの時計部門で名を馳せ、時計界のアイコンの一人として世界的に高名であった、サバリン・ワンダーマンが新しいオーナー兼社長に就任し、コルムに新しい活力を与えました。
同年、「バブル」シリーズを発表。
同年、ルネ・バンワルトはスイス国際時計博物館によって創設された、ガイア賞のCraftsmanship & Design部門賞を受賞しました。
この象徴的な評価は、時計製造の歴史、および文化に対する彼の貢献を称えるものでした。
2005年、ワンダーマンとともに戦略を確立させるメンバーとしてアントニオ・カルチェが加わりました。
2008年6月25日、当時69歳だったサリバン・ワンダーマンが永眠しました。芸術と文化に造詣が深かった彼は、大胆な作品を数多く残し、時計製造界に大きな影響を与えました。
2010年1月、創立55周年を迎えた年、ブランドの生みの親である、ルネ・バンワルトが95年の生涯に幕を下ろしました。
彼は、人間主義的にも美的センスの領域でも価値のある人格者でした。彼の手掛けた、ブランドのアイデンティティを確固たるものとしてきた非凡な作品の数々を見れば、彼の強烈なクリエイティビティが明白になります。
2012年、ペイロン兄弟が設立した、ヨットのアメリカズ・カップ出場の “エナジー・チーム” とのパートナーシップを開始しました。
2013年には、30年以上コルムを象徴する時計のひとつであり続けるゴールデンブリッジのムーブメントを考案したことで、すでにブランドの歴史と強く結びついていた天才時計師のヴィンセント・カラブレーゼ氏と、新しい提携を締結させました。
2013年4月、コルム社はチャイナ・ハイディエン社の傘下となりました。
この合意の結果、チャイナ・ハイディエン社はラ・ショー・ド・フォンを本拠とする時計メーカー、コルムの単独オーナーとなりました。
現在は、シティチャンプ・ウォッチ&ジュエリー社と社名を変更したチャイナ・ハイディエン社は、1991年より香港証券取引所に上場しており、韓氏および彼の家族が管理する企業です。
この他にも、エテルナやドレイファス・グループに属するロータリーといったスイスの時計ブランドを傘下に置いています。
アドミラルズ・カップとは?
ヨットセーリングは、18世紀のイギリス王室ではじまったと伝えられています。
スタートの合図に大砲の空砲が使われるのは当時の名残で、上流階級のスポーツとして広まったと言われています。
アフターパーティにはドレスコードがあり、クラブに入会するのも会員の紹介制であることから、ヨットクラブは紳士の社交場と位置づけられています。
アドミラルズカップとは、1957年〜2003年の間1年おきに行われた英国で始まった国際ヨットレースで、当時、世界の外洋航海レースの中でも伝統的で過酷なレースと言われていました。
1960年、コルムはアドミラルズカップとそれに挑戦する海の男たちに敬意を表して、コレクションを発表しました。
当初はスクエア型ケースの2針のデザインで、シンプルなドレスウォッチでした。
初代アドミラルズカップはデザインでヨットの世界観を取りこむだけに留まらず、色でも海が表現されたドレスウォッチであったのは、そうしたヨットクラブの雰囲気にマッチさせるためだったと考えられます。
ドレスアップした手元を華やかに演出するアドミラルは、当時のヨットクラブのアフターパーティでステイタスとなりました。
1981年、コルムは、コルム・セーリングチームとしてアドミラルズカップに参戦し、同レースのメインスポンサーも務めていました。そんな関係性から、同レースの名を冠したモデルが誕生することになりました。
レースへの参戦やスポンサード、時計の開発を推進したのは、2代目CEOとなる創業者の息子、ジャン=ルネ・バンワルトでした。
ヨットセーリングを趣味とし、 レースにも参加していた彼は、コルムの新たなコレクションのモチーフとして、ヨットレースに着目しました。
1983年から、スクエア型から独特の12角形のフォルムへとチェンジします。
この時計の独特なデザインは以下の通りです。
ヨットに使用される12角形のナットを意識したケース・フォルム、当時最先端技術だったPVDをいち早く採用、ケースとブレスレットとをブルーに染めました。
青いアドミラルズカップに時計ファンがつけた愛称は“ガンブルー”。それまでダイバーズしかなかった海の時計にエレガントなマリンウォッチというカテゴリーを開き、メゾンの新たなアイコンとなりました。ダイバーズウォッチとは一味違った エレガントさを併せ持つマリンウォッチは、海を愛するリッチ層の間で大ヒットしました。
1991年には、コルム・セーリングチームが参戦したレースで完全優勝を飾ったことで、時計自体もヨットマンの憧れの存在になりました。ヨットを愛したジャン=ルネ・バンワルト氏のもくろみはみごと成功しました。
ヨットレースといえばアドミラルズカップ、アドミラルといえばコルムの「アドミラルズカップ・コレクション」、こうしてコルムのブランドイメージとして定着し、広大な海を航海する勇ましい姿を彷彿させるラグスポ時計としての地位を確立しました。
(注 2003年を最後にレースは休戦)
以降アドミラルズカップは、メカニズムと外装素材の両面で、バリエーションを増やして行きました。
1993年には、月齢や潮位計といったヨットレースに必要な機構が備わるキャリバーCO277を搭載する特別なモデルが誕生、そのモジュールはなんと自社製でした。
2002年に「アドミラル」シリーズとして復活。
現在に至っています。