永井氏は1680年より大和国内で1万石を領していたが、
葛下郡新庄村(現在の奈良県
葛城市新庄)を居所と公称しており、1863年以前の永井氏の藩は
新庄藩と称される。ただし永井氏は
定府の大名であり、新庄村には実際に陣屋が置かれたとは伝えられておらず
[1]、そもそも新庄村は藩領ではなかった
[2]。書籍によっては、永井氏の藩を入封時にさかのぼって「櫛羅藩」として扱うこともある
[3][注釈 1]。また「櫛羅」はもともと「倶尸羅」と記された地名で
[3]、藩名も
倶尸羅藩とされることもある
[3]。