203 x 61 センチ (全体) 110 x 47 センチ (本紙)
軸先:骨
※全体サイズは表具の端から端のサイズです。軸先部分は含みません。
※商品・軸先の状態につきまして下記【重要なおしらせ】項目をご一読お願いいたします。 紙本(印刷ではなく、描かれている作品です。)
【富田古観】?-1832 愛知県知多郡古見村の旧家忠左衛門の子。名は道寧、通称は忠兵衛。別号に日月亭がある。幼い頃から画を好み、知多巡遊中の張月樵を招いて画を学んだ。巣見来山に次いで、この地方では名声があったという。天保3年2月16日死去。
【村瀬大阜】1745-1820 通称を弥四郎または弥五助、延享二年(一七四五)尾張横須賀に生まれる。家は兵庫屋という書肆。俳諧を加藤暁台に学び、その死後は井上士朗に学ぶ。五老の一人に数えられ、知多の俳壇に重きをなした。著書に『かりむくら』など多くの俳書がある。村瀬帯梅は従弟にあたる。
【村瀬帯梅】?-1826 尾張横須賀の豪商両口屋の当主。弥四郎を世襲する。はじめ俳譜を加藤暁台に、のち井上士朗に学ぶ。帯梅の俳号は少年の頃、父に伴われて尾張名古屋の暮雨巷暁台に入門した際与えられた。晩年、暮雨巷三世を襲名し、尾張横須賀の孤塚に庵を設けた。著書に井上士朗が激賞した『明ぼの日記』をはじめ、『龍の登』『萍水奇画』『鶴のかしら』『九駄加計』がある。
【白拍子】 平安時代末期から室町時代初期にかけて行われた歌舞の一種およびその歌舞を演じた舞女。白拍子とはもと拍子の一種の名称であったとされるが,これに歌舞がつき,寺社の延年の一部として舞われるとともに,この歌舞を専業とする遊女も現れた。この白拍子と呼ばれた遊女たちは,立烏帽子,水干に太刀を差した男姿で舞を舞ったので男舞とも呼ばれた。今様,朗詠などを歌い,鼓で拍子をとった。祇王,祇女,仏御前,静御前,千手前,亀菊などが白拍子の名手として名を残している。 ※付属品につきまして 商品は画像に写っている物が全てになります。 木箱、タトウ箱などの有無につきましても画像をご覧いただき御判断お願いいたします。
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