ケーゲル/
ベートーヴェン:
交響曲第9番
ケーゲル最晩年、1987年の「第九」。
1980年代にドレスデン・フィルに転じたケーゲルですが、度々ライプツィヒ放送響にも復帰し共演しております。
第4楽章のお祭り騒ぎに共感できぬとか、演奏会ではペンデレツキ、ノーノ、シェーンベルクなどシリアスな作品と組み合せるなど、「第九」についてネガティ ヴな言動、行動が多いケーゲルですが、当盤では夏の音楽祭シーズンのガラ・コンサートという枠組みのせいなのか、熱気溢れる正に祝祭的な盛り上がり、緊迫 感を見せております。燃えやすいドイツ人、ケーゲルの面目躍如の名演。しかも、それが実に様になっております(足踏みも凄い)。元来が合唱指揮者だっただ けに合唱の厚みある響きはケーゲルの怖い視線を感じさせる見事さです。(東武トレーディング)
許光俊の言いたい放題 より
「あなたはこの第9を許せるか?」
ベートーヴェンの第9は、この曲が大好きな人、聴くと感動する人、いつの間にか感情移入して拳を握りしめてしまう人は要注意である。「さあ、ここで盛り 上がるぞ」といった箇所で肩すかしを食らわされ、逆に思いがけぬ場所で「えっ」と驚かされる。第9には数え切れないほどCDがあるが、もっとも個性的な演 奏であることは間違いない。ケーゲルのベートーヴェンとしては、あまりにも異常な第5、第6の日本ライヴが発売されているが、あれと同じくらい突き抜けて しまっている。
第1、2楽章はモノマニアックなリズムと音型のしつこい組み合わせ。ベートーヴェンがミニマル音楽みたいに聞こえてくる。ケーゲルならではの20世紀的解釈だ。
第3楽章は一転、寂しげ、はかなげな情緒の世界。密度は非常に高く、ついつい堪能しながら聴いてしまうが、油断ならない。後半になると途端にやる気がなくなったみたいに脱力してしまうのだ。何だこれは・・・。
その秘密はフィナーレに隠されていたのである。開始早々、例の「喜びの歌」のメロディが出てくるまで、普通ならこれでもかと劇的な展開が続くが、なんとケーゲルはその当たり、ほとんど思い入れがないのだ。完全に白けた雰囲気。しかし、それにしてもここまでやるか・・・。
「喜びの歌」の旋律も、そっけなく登場する。そうか、全部そっけなくやっちゃうのかと思うと、違うのだ。主題が楽器を替えて繰り返されるごとにどんどん 表情が軟らかく豊かになってくる。美しさを増す。まるで最初は白黒で表示されたものが、だんだん総天然色になってくるというぐあい。レガートはカラヤンみ たいだ。うーん、これはすごい。
そして最大の衝撃は合唱。なんと、普通みたいに「さあ、みんな!」、ドカーンと力強くいかないのである。バッハの受難曲みたいに荘重だ。特にトルコ風行 進曲のあと、「抱き合え」からは、完全に宗教音楽のような厳粛で神秘的な空気が流れ出してびっくりさせられる。そう、愚かな人間たちが和解し、抱き合うと いう歌詞のところをケーゲルは全曲のピークと考えているのだ。なるほど、鋭い!
これほどまでに真剣に第9を考え抜いた演奏もたぶん珍しいだろう。その結果生まれてきたものは非常にユニークなものになった。あちこちで耳慣れぬ解釈に 遭遇する。私も何度もCDプレーヤーを止めて確認してしまったほどだ。第9をもう筋書きのわかっているドラマのように思っている人には、許せないだろう。 だが、この奇抜さは必然性あってのことだ。このような演奏に出会うことがクラシック音楽を聴き続ける理由でなくて何であろう。
(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)
ベートーヴェン:
交響曲第9番『合唱』
ヴェンスラヴァ・フルバー=フライブルガー(S)
ローズマリー・ラング(A)
ディーター・シュヴァルトナー(T)
ヘルマン・クリスチャン・ポルスター(Bs)
ライプツィヒ放送交響楽団&合唱団
ヘルベルト・ケーゲル(指揮)
ライヴ録音:1987年7月31日、ライプツィヒ、ゲヴァントハウス(ステレオ)
国内仕様盤、帯付き
日本語解説付き
コンディション良好。
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