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123 x 51 センチ (全体) 34 x 48 センチ (本紙)
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軸先:木 紙本(印刷ではなく、描かれている作品です。)
【松村景文】1779-1843 江戸後期の四条派の画家。京都の人。初名は直治,字は士藻,号は華渓,通称要人。呉春の異母弟で,彼に画を学んだ。兄といっても呉春とは親子ほど年齢が離れている。四条に住んで,妙法院に出仕した。花鳥画を得意とし,大作は少ないが「墨色の美麗なるは兄に勝る所あり」ともいわれた。写生にはげみ,淡白で軽妙な筆使いで花卉などを描いた四十数冊の写生帳(堂本美術館蔵)が残っている。文政12(1829)年京都祇園会の長刀鉾の天井裏に描いた「群鳥図」は景文の名を高めた。兄のあとを継いで四条派の隆盛をもたらした。65歳で没し,金福寺の呉春墓の側に葬られた。
【馬寅】1775?-1830 本名は馬場仲文、別号を漢崖。松村呉春門下。呉服神社(現在室町にある)の神官。松村呉春が京都に戻った寛政年間以降に馬寅が京都に出向いて教えを受けたと言われている。馬寅の作品は、中国故事の「蘭亭図」、文人画風の「山水図」、写生画の「猿にあけび図」等が池田市歴史資料館等に収蔵。中でも池田託明寺所蔵の「川柳鴛鴦図」は「付け立て」手法が用いられており、「呉春」の写生画転向時に応挙の描法を取り入れた描法が見られる。 他には俳人井上遅春(1780年?~1821年)が編纂した「呉江奇覧」の中で池田の名所旧跡の皐月山(五月山)、池田古城(池田城)の出てくる場面の挿絵を描く。確認されている作品数は少ないと思われる。
【木下応受】1777-1815 江戸時代後期の画家。安永6年生まれ。円山応挙の次男。円山応震の父。母方の祖父木下萱斎の養子となって木下家をつぐ。父の画風をうけついで一家をなし,長沢蘆雪,森徹山らとともに応挙門の十哲と称された。文化12年9月6日死去。39歳。字は君賚。通称は直一。別号に水石。
【佐久間草偃】?-1814 江戸時代中期-後期の画家。京都の人。蒔絵師の家に生まれる。はじめ土佐派,のち四条派の松村月渓にまなぶ。山水・花鳥画を得意とし,のち法橋となった。文化11年10月2日死去。名は顕。字は叔徳。別号に富春館。
【奥文鳴】?-1813 江戸時代中期-後期の画家。円山応挙の門にまなび,花鳥画を得意とした。但馬(兵庫県)大乗寺の襖絵を師らとともにえがいた。応挙十哲のひとりにかぞえられたが,早世したという。文化10年10月23日死去。京都出身。名は貞章。字は伯煕。通称は順蔵。別号に陸沈斎。著作に「仙斎円山先生伝」。 ※画像ごとに色味が異なる場合がございますが、全体を写した画像(サムネイル並びに1枚目)が実物に色味が近いと思われます。
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