169 x 39 センチ (全体) 83 x 27 センチ (本紙)
軸先:骨
※全体サイズは表具の端から端のサイズです。軸先部分は含みません。
※商品・軸先の状態につきまして下記【重要なおしらせ】項目をご一読お願いいたします。 紙本(印刷ではなく、描かれている作品です。) 二重箱
【久隅守景】1620?-1690? 出自は不明であるが、通称を半兵衛といい、無下斎、無礙斎、一陳翁などと号した。江戸時代前期の狩野派の絵師。狩野探幽門下の四天王に数えられ、探幽の姪の国と結婚するが、破門されたと伝えられている。
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【宇治川先陣】 『平家物語』に登場する「宇治川の戦い」の一場面。源義仲と鎌倉の源頼朝から派遣された源範頼、源義経とで戦われた合戦。治承・寿永の乱の戦いの一つ。
【源義経】 平安時代末期の武将。鎌倉幕府を開いた源頼朝の異母弟。仮名は九郎、実名は義經(義経)。河内源氏の源義朝の九男として生まれ、幼名を牛若丸と呼ばれた。平治の乱で父が敗死したことにより鞍馬寺に預けられるが、後に平泉へ下り、奥州藤原氏の当主・藤原秀衡の庇護を受ける。兄・頼朝が平氏打倒の兵を挙げる(治承・寿永の乱)とそれに馳せ参じ、一ノ谷、屋島、壇ノ浦の合戦を経て平氏を滅ぼし、最大の功労者となる。その後、頼朝の許可を得ることなく官位を受けたことや、平氏との戦いにおける独断専行によって怒りを買い、このことに対し自立の動きを見せたため、頼朝と対立し朝敵とされた。全国に捕縛の命が伝わると難を逃れ再び藤原秀衡を頼った。しかし、秀衡の死後、頼朝の追及を受けた当主・藤原泰衡に攻められ、現在の岩手県平泉町にある衣川館で自刃した。
【源範頼】 平安後期-鎌倉時代の武将。 源義朝の6男。母は遠江(静岡県)池田宿の遊女。兄源頼朝にしたがい,弟義経とともに源義仲を追討。さらに一ノ谷で平氏をやぶり,山陽道をすすむ。のち九州を鎮定。建久4年(1193)8月頼朝に謀反の疑いで伊豆に流され,以後の消息は不明。通称は蒲冠者。
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※付属品につきまして 商品は画像に写っている物が全てになります。 木箱、タトウ箱などの有無につきましても画像をご覧いただき御判断お願いいたします。
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