(翔)古伊万里 染付 古九谷 藍九谷 江戸前期 金銀彩古九谷 瑠璃地 折紙 五寸皿 ③ 1650-1670年代前後の落札結果
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(翔)古伊万里 染付 古九谷 藍九谷 江戸前期 金銀彩古九谷 瑠璃地 折紙 五寸皿 ③ 1650-1670年代前後の商品画像

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(翔)古伊万里 染付 古九谷 藍九谷 江戸前期 金銀彩古九谷 瑠璃地 折紙 五寸皿 ③ 1650-1670年代前後の商品説明

古伊万里:金銀彩古九谷江戸前期瑠璃地折紙五寸皿③

カワイイ古九谷 あるんですね!

金銀彩の古九谷なのに....
よくある山水と蔓草文様なのに...
余白、折り紙とハート形の重ね効果
きゅきゅっと凝縮された14㎝の小皿です

江戸前期の金銀彩古九谷五寸皿、
銀彩は黒くなったり、多少薄くなっていますが、
金彩は綺麗です。
350年以上前の古九谷を取り皿に使う、
ちょっと違った毎日が始まるのでは と思います。

中央を少し外して、瑠璃地折り紙に草花文、
折り紙に少し重ねて、瑠璃地ハート形に海浜図、
文様は金銀朱彩で描かれています。
裏は定番の白磁無文、高台圏線
生掛け特有のしっとり滑らかな釉薬、
釉掛け時の指跡も愛おしく感じます。

初期伊万里誕生からほんの30年程後、
同じ地で、日本初の色絵磁器、古九谷が誕生しました。
驚異的な進歩を遂げた理由の一つは
政変により国を追われた中国磁器職人たちの来日でした。
官民合同の窯業産業確立に、彼らは惜しみなく技術を伝授しました。
1640年代、伊万里の急激な進歩は、
中国技術と日本人の高い学習能力の成果だった様です。

インスタグラムを始めました。
Instagramでも販売しています。
kobijutsu_banri ←をクリック、是非ご覧下さい。

ホームページをリニューアルしました。
様式が時代毎に変わる伊万里を、
画像比較しながら楽しんで戴ければと思っています。
是非ご覧下さい。

江戸前期、寛文期、1650-1670年代前後
D13.8㎝(13.7) H3.2㎝(3.2) 共に最大
完品

傷ではありませんがご確認戴きたい詳細:

見込に微かな凹凸多少、目立たず座りに支障無
色スレ色無部多少
(特に銀彩は黒く酸化、色無部多少)
(下枠の下部に朱無部有、色跡がないので描き忘れ)
極小灰振・釉切・濃淡斑・釉下シワ・シワ黄染・凹凸・ムシクイ多少

色スレ等は説明が難しいです。画像でご確認下さい。
時代は補償しますが、色スレについては、
ノークレーム・ノーリターンでお願いします。

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古九谷は様々な種類があり、意外と多く現存しています。

日本初の磁器の初期伊万里、そのすぐ後の伊万里が古九谷です。
(古九谷様式、とお考え戴ければ解り易い、です)
当時の富裕層の大量需要がなければ、多種多様の器を大量に作ることはできません。
驚異的な技術進歩は、大量需要により生み出されたと考えられます

江戸初期に日本で初めて陶磁器が生産され伊万里と呼ばれました。
最初の伊万里を初期伊万里と呼びます。(1610年代)

古九谷は、初期伊万里のすぐ後、寛文期前後に作られた色絵磁器です。
驚異的な技術進歩により、日本初の色絵磁器が誕生しました。
(1640年代)
色絵は古九谷、染付古九谷は藍九谷、錆釉古九谷を吸坂と呼びます。
また青磁釉・瑠璃釉・白磁は、古九谷の名称を上下いづれかに足し呼ばれる
事もあります。
寛文期前後は、様々な技術や様式が生まれ、淘汰された興味深い時代です。
(1640年~1670年代前後)
後の柿右衛門様式は古九谷のすぐ後、延宝期に確立されたと言われています。
柿右衛門様式の登場で古九谷は役目を終え終了します。

なぜこの時代の伊万里が古九谷と呼ばれているのでしょうか?

半世紀程前迄古九谷は、石川県の焼き物、江戸時代の九谷焼と言われていました。
昭和20年代、古九谷と呼ばれる焼き物が、実は佐賀県有田で作られたものではないか
という説が登場し、九谷説と有田説の論争が始まりました。
「九谷論争」です。

有田説は、江戸時代、海外へ輸出された伊万里の古九谷との共通性にありました。
有田説を支持する説が諸外国でも登場します。
その後、考古学的に生産地遺跡の発掘調査が双方で行われました。
素地の化学分析が行われた結果、有田説で終結しました。
終結後も古九谷の名称は残りました。
ただ、その後も調査は続いています。
疑問点がまだあり、今後の研究により更に詳細が解明されればと思います。
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オークション情報 中古

落札価格 30,000
入札件数 1件(入札履歴
商品の状態 目立った傷や汚れなし
発送方法 クロネコヤマト元払いなど
発送地域 兵庫県
終了日時 2024年3月15日 21時37分
出品者 jus********評価
オークションID 1109624082

カテゴリ落札トレンド